『グラフィックファシリテーション基礎講座』を開催しました。

以下、イベント終了後の山田夏子のコメントです。

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昨日のグラフィックファシリテーションの投稿に、 結構たくさんの反響をいただけて有難いやらびっくりやら。。。
改めて、感謝です。
もう少しだけ補足というか、暑苦しい話をさせてください。笑
ちなみに、山田夏子流のグラフィックファシリテーションの捉え方です。(一部ということ)

昨日の投稿の中に、
「下手したら、絵が苦手な人の方が、純粋に素直に場に寄り添うことに徹して、必死で描いた線の波打つ絵の方が、スタンプ的なキレイな絵よりも参加者の心を捉えて活性化できるんじゃないかとも思っています。」
と、書いたんだけど、これどういうことかというと、
「作為的じゃない」ってことなのです。
ちょうどこのこと考えてたら、NHKのプロフェッショナルで皆川明さんも言っていましたね。笑
作為がないものの美しさ
作為がないからこそ、対象に素直に向かっているその真っ直ぐさが、主役である参加者の心を動かすんだと思うのです。
子供の絵や俗に言う画伯の絵もそう。

で、
あなたは
「なんのためにグラファシしてるのですか?」は、
論理的にとか、手段として、
「何かに貢献したいと定義してほしい!」と言っている訳ではなくて、
もうね、これは、自然に湧いてくるような使命感とか純粋欲求みたいなものでもあると思うのです。

私の場合、
対外的には、情報格差を埋めたい。属人化をなくしたい。ダイバーシティの器を広げたい。とかっこよく言っていますが、
平たく言うと、
心底、チームが醸成されていく場をたまらなく作りたいと思うのです。チームビルドされていってほしいという願いがある。
それはきっと、2歳の時に両親が離婚して家族がバラバラになった時から私に宿った使命のようなもの。
だから作為的なものではないの。

で、同時に自己管理も必要で、自分の欲求や声をちゃんと理解していないと、
場の感情を、自分に都合よく拾ってしまう。
(で、これは作為的になっちゃう)
場の感情を拾うよりどころは、自分の中の声にある。
自分の中の声に良い悪いのジャッジをせず、ネガティブな声もポジティブな声も、オープンに自分自身が受け入れているかどうか?
これが、結局、
場の声(感情)を的確に拾う時に重要になる。
こんな声は聞かないようにしよう!と自分の中で蓋をしていたりすると、
それが邪魔して、場の感情も拾いづらくなる。
子供は、自分の感情にオープンだから、絵が素直。
「こう描いたら、周りの人にこう見てもらえるかな?」というような、
作為が全く無いの。
グラフィックは、とても場に影響を与えます。
言い換えればとても責任が大きい。
だからこそ、オープンに無頓着に無責任に描くことで、
主役である参加者の方々も、自由に発言できるようになるんだと思っています。

こういうことを、講座では
実際に模造紙に描いてもらいながら一人一人フィードバックして学んでいきます。

と、
ここまで書いて、
学生時代、デッサンや絵、彫刻を創る時も、ずっとこのこと考えてたし、先生達から指摘されてたし、バンタンでも学生達に話してたよなぁ〜〜〜
やってることはずっと一緒っつーことだ。笑
きっと
言葉にできるのは、プロセスワークやシステムコーチングを行っていることも私にとっては大きなベースになっている。
写真は、講座の中で、必死で「腹落ち」を絵にしようとしてくれたもの。
ものすごく、参加者に、響いた絵。
そして、うちの子供の描いたのび太。笑