最近、よく思うのですが、、、

「グラフィックレコーディングやって、
周りの人に喜んでもらえて、
あぁ、これ、私のやりたい事だ!って思いました!」
というような声を若い子から聞くと、
ちょっとザワザワしてしまうのです。

グラフィックレコーディングやグラフィックファシリテーションは、1つのツールでしかありません。
ツールでしかないからこそ、
「なぜ、あなたはグラフィックレコーディングをしたいのか?」という理由が大事になるわけで。。。

で、この理由が大義名分的に、スゴイ貢献がなきゃいけない事じゃなくて、
あなたがあなた自身が、本当に疼いていることはなんなのか??ってことにちゃんと気がついてるか?
なんだと思うのです。
それがあって初めて、あなたがグラレコやグラファシする理由が見えて来るんだと思う。
人の役に立ちたい!って思って、
役に立ってない時の自分は、(自分の中で)認められない自分になっていないか??

これ、グラフィックファシリテーションだけのことでなく、
他様々な職業や特に新しく生まれる職業や役割で起きている気がする。
例えば、
自分がやりたいからコーチングする…的な。クライアントのためと言いつつ、クライアントの為ではなくて。。。とか、、、

そーじゃなくてね、
何か目の前で解決したい課題があった時に、適切な対応の仕方をいろいろ考えて、その手段やツールの1つにグラファシや例えばコーチングが選択肢の1つとしてあるに過ぎない。
これやってないと私じゃない。ってことじゃない。

ママ業も同じ。
「○○ちゃんのママ」が、あなたの存在価値ではないはず。
自分自身はキチンと存在していて、その外付けの1つの役割として、○○の母親がある。

なんかこう、
そうなっちゃうのって、
その人が悪いってことではなくて、
周りの大人や昔の常識や風習がそうさせてるところもあるな…と。

人と役割を同じものとして捉えて、
役割への期待をその人への期待として、
プレッシャーを与える。
昨日&今日とスティーブンのプロセスワークの講座で、
ランクやパワーとの向き合い方について学んで来て、さらに自分の中で深まった。
役割を果たすことは、
本当に自分の疼きの中から来てるものなのか?
パワーを前にして無自覚に役割を果たそうとしていないか??
存在価値を期待された役割で埋めること、
私自身も良くやってること。
だからこそ、ザワザワするのだ。
何度も何度も立ち返るけど、
自分を満たすことからスタートしないとね。

自分の価値は、存在してることそのもので、充分価値を持っていると、ちゃんと自分が受け取ること。
パワーを持ってない人なんていない。
忘れていたその力を取り戻すんだと。
そして、
右脳&左脳、男性性&女性性、パワー&愛、、、いろんな場面で出くわす、
両極をホールド出来るように。